兎山もなか

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【御礼小説】君が何度も××するから

「え?」ガチャッと鍵が閉まる音がして振り返ると、彼がいつも通り涼しげな顔をしてそこにいる。触りたくなる柔らかなウェーブの茶髪に黒縁メガネ。結婚してもうとっくに見慣れたはずなのに、その顔のパーツはやっぱりどれも好きなカタチばかりしていてドキドキしてしまう。鼻から、顎、そこから首筋にかけてのライン。好き。好き、だけど!「……なんで鍵閉めたの?」つい今の今まで仕事の話をしていたはずだ。残業の多い二人は、家にはあまり仕事の話を持ち帰らないようにしている。だから、逆にお互いの仕事の話をすることが珍しくって。こんな深夜残業の夜に、たまたま二人になったから、雑談がてら今動いている案件を報告していたところ。椎はその認識だった。「なんでって……一応?」「何の一応⁉」ツッコミをいれながら、椎はじりと後ずさる。なんだか不味い気がする。ううん、たぶんものすごく不味い。深い色の彼の瞳は、見ると笑っているけれど完璧に夜のそれだ。夫の爽やかな笑みに、予感は確信に変わる。――――そんなの、絶対にだめ!「――――終電!」雰囲気をぶち壊そうと声を張る。深夜、暗闇の中で逆に煌々と電気が輝く白い部屋に、声はよく響いた。「終電?」「逃しちゃったね! タクシーで帰るでしょ? あ、それか牛丼でも食べて帰る?」にっこりと笑って、色気もへったくれもないワードをぶちこむ。機嫌よく晩御飯なに食べるかを考えている風を装って、彼に背を向けてテーブルに広がる書類を片付けにかかる。早く帰るしかない。一秒でも早く、この会議室を脱出するしかない。「チーズも美味しいけどー、あのねぎたっぷりのやつも美味しいよね? あ、でも梓はオーソドックスな牛丼――――」「……椎」「っ……!」気付けばすぐ後ろにいた。後ろにいて、耳元で名前を囁かれた――――だけなら、まだよかった。カッと顔が熱くなるのを感じながら、右耳を右手で押さえて上体だけ捻って振り返る。恨めしげに睨んでみても効果は薄い。眼鏡の奥にある目が、意地悪く笑っていた。「……なんで耳噛むの!」「耳が弱いからだろ」至極当然のことのようにさらっとそう言う彼は、もう仕事中の顔なんてしていない。人のいい顔で円滑に仕事をまわしている彼の姿を、そっと見るのが好きだ。結婚して彼の名前を半分もらった今、あまり見つめていると〝新妻が呆けてるぞ!〟なんて茶化されるから、なるべく見ないように努力しているけど、それでも。すごく好き。けれど今は、会社にいるのにそんな顔はしていなくて。完全に夜の顔で。眼鏡をはずした余裕のある顔が唇の表面を触れ合わせてくると、心臓がうるさすぎて上手に考えられなくなる。「口、開けて」ふるふると首を横に振る。わかっている。嫌がれば彼は余計に燃えてしまう。そんなこともうとっくにわかっているけど、まさか応じるわけにもいかなくて、だれか、たすけて! と夫相手に逃げたい気持ちに駆られる。「会社でなんてやだ……」「なんで。結婚する前もしただろ、キスは」「結婚する前でしょ! もし……もし誰かに見られたら〝あーあそこの夫婦はまったく、若いな……〟みたいなかんじになる……」「なにそれ、駒田さんのマネ?」「誰でもいいでしょうっ」「駒田さんならさっき帰ってたし、だから、鍵はかけたって」「そういう……ん……問題、っん、じゃ……」文句を言っている間にも口を開かせようと唇が唇を押し広げてくる。胸を両手で突っぱねようとしても意外としっかりした身体には意味がない。そんなことだって経験値でわかってるのに。はぁっ、と息継ぎをする合間に、下唇をつけたままで囁かれた。「……まぁ。キスじゃ済まないけど」「やっぱりっ……」「やっぱりって? 期待通り?」そう言いながら彼は自分のネクタイに手をかけた。それからの手の、不穏な動き。「……会社では、しません」はぁっ、とまた深く呼吸しながら手のひらで彼の止まらない唇を阻む。別に嫌がるポーズをしているわけじゃない。ここでしたくないのには、理由がある。それを彼は知らないはずがないのに、平気で阻んでいた私の手を掴んで、そこにもキスを落として身動きをとれなくする。「……だめ。今すぐしたい」ーーーーどきっとするなバカ。掴んだ手の甲に唇を寄せながら、眼鏡をはずして少しだけキツくなった目で、欲しいと言われたら。余裕がなくなってきた目で欲しいと言われたら、あとどうやって拒めばいい?ブラウスの中をがさごそと探る手は迷いがなさすぎて、声を殺すのが間に合わない。「あっ……」こんな声がこの部屋に響くのには耐えられない。仕事をするところだから、というのも勿論あるし、理由はもう一つ。腕の中に収めた椎の身体を弄りながら、梓は耳元に唇を寄せて語りかける。「……この部屋、あの夜のこと思い出して嫌だよな」「っ、わかってるなら……」「でも俺にもあるよ。ここで見た嫌なこと」「…………え?」ふと抵抗を緩めてしまった。彼の顔は少しだけ寂しそうだ。それはまさか、いつか言っていた。「……セフ……レ、パターン……?」思わず口に出してしまってから、しまったと思ってももう遅い。怒らせた。「っん……!」きゅっとつねられると、もう、全然駄目だ。立ってられない。腰が抜けるのと同時に机に押し倒される。天井。電気の逆光。何度となくこの角度からの顔は見てきたけれど、ここが会議室だということがまた彼を違って見せた。最後までされてしまう。「上書きさせて」どちらにとっても嫌な思い出を、という意味だろう。彼の気持ちは理解できないわけじゃない。だけど。「……やっぱりだめ!」拒否する声も虚しく、梓は簡単に椎のリボンタイを解いてしまう。「またまた」そう言って茶化す声に腹立たしくなって、もう絶対に意地でもここではしない! と決める。でもどうやって? 何も策が浮かばないまま服は半分脱がされた。「ん……」首筋を熱い息がかすめて、いつも以上に丁寧に肌にキスをされて。椎の頭がぼーっとしてきたところで、暑いな、とつぶやいた梓はさっきネクタイを外したワイシャツの首元、ボタンを二つ開ける。その動き一つに釘付けになる。気付かれたのか、にやりと笑われた。「嫌だ嫌だって口では言っても……」「わざとらしくそういうセリフ言わないで……!」恥ずかしさで涙が出そうだ。「でも本当に」「ん」「なに、これ?」すごいことんなってるよ、ってまたそんなわざとらしいセリフで。「昨日のこと思い出した?」胸元にいる彼が、ぐっと低く抑えた声で囁く。椎の右手は彼の左手にきっちりと繋がれ、左手は行き場なく上に。背中に回された彼の右手がきゅっと肩を抱くと、ぞくっとした。昨日のこと。「そもそも覚えてるか? 何回も意識飛ばしてたけど」「梓が、っ……やめてくれないからっ……」「だって」悪びれのない声。お腹にキスされる。「……さすがに昨日はできた気がするんだけどどう思う?」「もうッ……!」空いていた左の手で顔を覆う。〝どう思う?〟 じゃない!「最低……」家でならまだいい。好きなだけ言えばいい。でもここは会社で、今自分が背中を預けているのはいつも真剣に議論をしている机だ。そんなの絶対にだめだ。だめ、なんだけど。「……梓。ほんとに……」「ん?」「ほんとにするの?」「するよ?」そう笑う彼の顔になんで、ときめいてしまうかなぁ。結局この夜椎が彼のわがままを聞いてしまったのかどうかは、二人にしかわからない。翌日。梓の部署を通りかかった同期・竹島は、何やら深刻な顔でデスクに向かっている梓に声をかけた。「……なに悩んでるんだ神谷。そんなやばい案件なのか……?」声につられて顔をあげた梓は、少しも表情をやわらげることなく深刻な顔でいる。「……竹島」「お、おぉなんだ、言ってみろよ。どうした?」一瞬どうしようと迷った顔をしてから、梓は口を開いた。「また離婚するって言われるかもしれない……」「……………………は? 離婚? しかもなんだ〝また〟って。そんなしょっちゅう修羅場なのかお前んとこは……?」こないだ結婚したとこなのに? と首を傾げる竹島に、話にならんと梓はデスクに向き直る。「だいたいはお前のせいだよ」「なんでだよ!」全然納得いかねぇわ! と喚く竹島に、梓は昨晩の出来事を話した。「聴きたくなかった……」それが竹島の感想だった。「そんな……そんな生々しい話は聴きたくなかった」「嘘だ。好きだろこういう話」「いや、同期同士のはさすがに……。お前なぁ、会社で嫁を襲うなよ……」言われて梓は、深く嘆息する。「仕方ないだろ……」「何が」「仕事の話してるときがずば抜けてかわいい」「……あぁ、うん。俺もそう思う」「お前は思うな死ね」「あのなぁ!」お前そんなキャラだったか⁉ と言われても、困ってしまう。昔はこんなだった、としか梓には言いようがない。やっとのこと手に入れた彼女のことを、手に入れた今でも欲しくて欲しくてたまらないのだ。その夜、帰宅した梓はリビングの壁に貼られたえらく達筆な「会社では他人」という習字に言葉を失うことになる……というのが今回のオチです。○あとがき『君が何度も××するから』のアフターストーリーをお送りしました。お読みいただきありがとうございました!基本的には、本編を読んでいただいた方へのお礼小説という位置づけですので、ネタバレはしない程度に、でも本編読んだ後の方にはにやっとしてもらえるようにを心掛けて書きました。そして意図せずめろさんの表紙イメージのお話となりました…( *'ω'*)あの構図が素敵で、いつか絶対お話にいれたい…!と思っていたらいきなりチャンス到来です!はーかわいい!←何かしらのご縁で読んでいただいたこと本当に感謝しております*お楽しみいただけてましたら幸いです(⑅ˊᵕˋ⑅)本編読まずでこちらを読んでくださった方もありがとうございます!これだけでも楽しんでいただけるようには気を配ってみたんですが、どうしても疑問は残ってしまったかと…; 本編は2人の出会いから結婚前までを描いています。2人にとっての会議室の嫌な思い出や、神谷の「また離婚…」のくだりも本編で出てきますので、もし興味もっていただけましたら読んでいただけると嬉しいです(>_<*)